【デイグニティー(品位・威厳)を持て】
2014年の秋から春にかけてオンエアーされ、大ヒットしたNHK連続テレビ小説「マッサン」の主人公、ニッカウヰスキーの創始者竹鶴政孝さんは、竹鶴孝太郎さんのお祖父さんだ。
孝太郎さんは、そのお祖父さんと同じ屋根の下で15歳まで北海島・余市で暮らし、その後も東京でスープの冷めない距離に住んでいた。
「僕が言うのもおかしいですが、祖父も祖母もダンディでしたよね」(竹鶴孝太郎氏)
竹鶴政孝さんは、日本でまだ模造品のウイスキーしか作っていなかった時代にスコットランドに留学し、そこで出会ったリタさんと結婚。
苦労の末、初の本格国産ウイスキーを日本で誕生させた日本ウイスキーの父である。
良いものをつくれば必ず売れると艱難辛苦を乗り越え、妥協せず徹底的に本物づくりにこだわり成功させた。
「祖父は子供の僕に、大人の男に対してと同じように話していました。日頃から言っていたのは、ディグニティー(品位・威厳)を持てということです」(同上)
苦境にあってもひるまず誇り高く、強い信念と自信の中でデイグニティーを持って突き進む。
陽気で、よく笑い、声が大きく、まなざしに力がありオーラがあった政孝さん。
仕事と同じぐらい遊びにも熱心で、スポーツを楽しみ、社員を愛し愛されていた。
そして深く人と心を通わせ、男に惚れられるダンディな男でもあった。
【男のキメポーズとサイン】
政孝さんはオシャレにこだわっていた。
それは、ウイスキーのアイコンとして見られることを意識してのモノだったのではないか。
さらにウイスキーを学ぶことは、スコットランドの文化を学ぶことでもあったと孝太郎さんは言う。
立派なカイゼルひげ、夏はパナマ帽に白の麻のスーツにコンビネーションの靴、冬の外出時にはボルサリーノの帽子に、襟にビーバーやミンクの毛皮をあしらったコートに毛皮の帽子でコーディネート。
質を重視し感触を大切にしていた。
「祖父は上質のものを好んでいましたが、それを着る自分というのはいかにあるべきか。それを着るという事はどういう言動をすべきか、といったことを目指していたんじゃないですかね」(同上)
まず生地を見て、それから手触り、風合い、生地のTPOを教えられたと言う。
「ウイスキーのマスターブレンダーとは何ぞや」
というのを自分でポーズを決めて写真を撮らせ、リタさんの実家であるイギリスをはじめ、皆に送っていた。
「自分のキメポーズと、サインを決めておけとよく言っていました」(同上)
【自分の家のブランディングをしよう】
孝太郎さんは、後を継げと言われたことは一度もなかったが、大学を卒業して希望した会社から「預かりでないと父上に迷惑がかかる」と言われニッカウヰスキーに入社した。
お父上は、研究者で最後までニッカウヰスキーにいらしたそうだが、孝太郎さんは20年間勤めて退社。
ブランディングプロデユーサーとなり、現在は大手映像制作会社アマナで、事業開発室室長を務める。
「今、北海道を代表する女性像として『リタ竹鶴』をブランディングできたらいいなと考えています。彼らの生き様を伝えることで、ウイスキーを飲みながらゆっくりと語りあう円熟化したものを楽しむことをリタの目線で伝えていきたいですね」
マッサンのスーツ復刻版やリタさんのお料理本のプロデユースを手掛け、北海道から日本のウイスキー文化を発信しようとしている。
孝太郎さんは、今、改めて色々なことを掘り起こし整理をし、自分を見つめ直している。
文:岩崎由美