【澤瀉屋の幹が太くなったと感じています】
インタビューをしているときは、とても気さくで優しい雰囲気が漂っていたが、いざ撮影となると別人に代わる。眼光鋭く、集中力が高まり、全身からエネルギーがあふれだす。これこそが歌舞伎座での市川右團次さんその人だった。
右團次さんには歌舞伎の血が流れていない。大阪の日本舞踊の家元に生まれ、才能が見初められて三代目市川猿之助さんの部屋子(内弟子のようなもの)になった。小学校を卒業する前のことである。
もちろん、本人も歌舞伎が大好き。猿之助さんの『吉野山』を見て「なんてかっこいいんだろう」「こんなかっこいい人が世の中にいるのか」と憧れた。猿之助さんのそばで生きざまを見、あるときは分身として飛び回り、ある時は代わりに役を演じ、ある場面では意向を伝えるという役割を果たしてきた。
三代目の体調が悪くなった10年前、大きな傘をいきなり取り上げられたような気がしたと言う。2012年、四代目市川猿之助(亀次郎改め)、三代目息子の市川中車(香川照之)、孫市川団子(だんこ)の襲名披露が行われるにあたって、それぞれ「個が強くなって結集した」ように感じた。
「澤瀉屋の幹が太くなったような気がするんですよね。以前よりたくましく、絆が深く、互いのことが思いあえるようになりました」
今、澤瀉屋の主軸として若手を束ねている。
【伝えていく大切さ】
歌舞伎役者は、アスリートのようなものだ。重いかつらをつけ、何十キロもある衣装を着て、見栄を切り、踊り、演じる。休みもほとんどない。1年のうち舞台に立っているのが8か月。残りはすべて稽古をしていて、新作物の時は、舞台が終わった終演後から稽古をするというハードさだ。
「歌舞伎が人生になってしまっています。50歳を超えると花形ではないんですが、役者としては鼻たれ小僧です。これからどのように熟していくか」
自分の芝居を充実させるのと同時に、「後輩たちに伝えていく大切さ」がずしりと肩にかかる。
「おこがましいんですけれど、裏の段取りは僕がやらせていただいて、お役に立ったらと思っています。一門の若い人たちにお伝えできるというかご指導させていただきます」
三代目のお孫さん、団子さんの初舞台はちょうど、右團次さんの初舞台と同じ歳にあたる。団子さんに自分の人生を語ると同時に、ご自身の5歳の息子さんが歌舞伎を継いでくれることも願っている。
「今までは、自分一代限りと思っていましたが、継いでくれる人間がいると思うとだいぶ変わりますね。師匠から教えていただいたことを伝えていくことを、これから一生かけてしていくのが使命だと思っています」
ドラマにミュージカルにオペラの演出にと大活躍だが、どんなに忙しくてもきちんとして出かけるのが「こだわり」という右團次さん。髪を整え、眉を描いて、ちゃんとおしゃれをして楽屋入りする。「お前は女子か!」と言われるほど、買い物には迷うし時間がかかるという、ちょっぴりお茶目な部分もお持ちだ。
文:岩崎由美