【男の着物ブームを仕掛ける】
最近、男性の着物姿をよく見かけるようになった。
2002年に銀座もとじが「男のきもの専門店」をオープンした時は周りから「成功するわけがない」と言われたそうだ。
泉二さんは今から25年前、パリでレストランに入った時、同じ店でも洋服で行った時と、着物で行った時では全く扱いが違うということを経験した。
「日本人には着物が一番似合う。いずれ『和』の良さが、もっと海外でも認められるようになる」(泉二氏)
その時、男性の着物専門店をつくることを決心したのである。
「おかげさまで、お洒落に敏感な方が着物をファッションのひとつとして着て下さるようになってきました。今は観劇や美術館、レストランにもご夫婦やカップルで、着物で行く人が増えました。着物を着ることによって存在感が出てくるし、おもてなしが全然違う。心地よい人目のシャワーを浴びることで、男磨きにもつながります。ビジネスマンも海外に行くときは名刺代わりに着物をお召しになっているようですね」(泉二氏)
こちらの店では、業界初の仮縫いサービスも導入している。
通常、着物は採寸だけで仕立てるのだが、身体つきに合わせてスーツのように仮縫いをする。これで美しく、着やすく、着崩れしにくくなる。
角帯を締めて、裾がちょうどくるぶしが隠れるぐらいが粋でかっこいい。
【30歳で、銀座で独立すると決意】
奄美大島に生まれた泉二さんは、箱根駅伝の選手を夢見て上京。
大学に入学したのだが、身体を壊して道が閉ざされてしまった。
失意の時、父親の形見の大島紬を羽織ると「お前はこれで生きろ。この着物で社会に貢献する仕事をしたらどうだ
と言われたような気がした。
もちろん、着物のことなど何も知らない。
そこで呉服問屋に見習いに入るところから始め、30歳で銀座に店を持つことを目標にゼロから勉強を始めた。人脈を広げるために医師会で働かせてもらったこともある。
1979年、晴れて銀座で創業。机ひとつ、電話一本の外商からスタートした。
「仕事もスポーツも一緒だと思ったんです。スポーツも練習を重ねて成果が出せるようになる。仕事も練習すれば一流になれる
(泉二氏)
お客様に購入していただいた商品はすべて写真に撮って「着物カルテ
として大切に保管している。
「買っていただいたことを一生忘れちゃいけないと、これが『銀座もとじ』の財産です。商いの原点はそこだと思うんです。感謝の気持ちを形にして初めて心が伝わるんです」(泉二氏)
【着物のトレーサビリティ】
2015年5月、農林水産大臣賞を受賞した。
養蚕農家、製糸業者、製織業者、販売業者がひとつになってモノづくりをしていることが評価され、チームで受賞した。
実は泉二さん、今から10年前、雄だけが孵化する蚕品種「プラチナボーイ」を商品化してほしいと国から依頼された。
昔から雄の蚕の糸は細く長く光沢があり、丈夫で毛羽立ちにくい最高の品質だと知られていた。
これは何としても実現したい。
一小売業者が商品化するのは無謀だった。
しかし泉二さんは決断する「こだわりの素材を作るのは長年の夢だ。何としても商品化しよう」と。
そして今、プラチナボーイという世界で唯一無二の生糸が着物となって誕生している。
その技術の革新性、品質の優良性、生産体制のしくみに加え、国内蚕糸業の未来がかかっているということが認められての受賞である。
「銀座もとじ」の反物には、証紙にトレーサビリティとして作り手の名前が書かれている。
養蚕農家、染め織りの産地の方たちと一つのチームになり、顔の見えるモノづくりをするのが信条だ。
銀座・泰明小学校で、草木から命を頂く「銀座の柳染め」体験学習を行い命の大切さを子供たちに伝え、さらに素材からこだわり、国内の養蚕農家を守り、作り手に光を当てるなど、日本の着物の未来が泉二さんの肩にかかっている。
文:岩崎由美