ニットをつくるコンピュータ制御横編機で世界トップシェアを誇る和歌山市の島精機製作所。島正博さんは、この世界一の企業を生れ育った地で一代で築いた。
【不屈の精神でやり通す】
高校時代には、ハンドルと連動して同じ方向へ動く車のヘッドライトをはじめ、様々な発明を生み出し、天才少年として知れ渡った。
「中学2年から作業用手袋編機などを修理をする工場でアルバイトをしていて、機械の仕組みを覚えました。また、大学生が勉強する機械工学の本を読んでいましたから、作りたいと思うものは作りだせたのです」
器用貧乏にならないようにという教師のアドバイスを受け、取り組むべく分野を編機に絞り、特許も取得した。そして、1962年2月、24歳で会社設立。
しかしながら、手袋の指から手首の部分までをすべて自動で編み出す機械をつくろうと、研究開発に没頭するあまり、64年の暮れには、借金は6000万円に膨らんでいた。
「60万円の手形が落とせなくて追い詰められた12月24日のクリスマスイブの日、太っ腹な大阪のプレス加工会社の社長が100万円の現金を持ってきてくれたのです。そこから、不眠不休、立ち放しで新しい機械の開発に取り組んで31日午後3時、ポンとスイッチを押すと機械が動きだしたんです」
できないと思われていたものができた。動きは素早く、新年3日にはその全自動手袋編機の展示会を開き大量の発注を得た。
【常に世界初を目指した】
67年には、全自動フルファッション衿編機を引っ提げて、手袋よりもマーケットの大きいニットの横編機業界に進出した。
まだヨーロッパの先発メーカーのどこも、衿部分を自動編みできる機械を発表していなかった。また、編機のコンピュータ化にもいち早く取り組み、78年にはコンピュータ制御横編機を開発した。
そして、95年。4年に1度開かれる国際繊維機械見本市「ITMA」に完全無縫製型コンピュータ横編機を展示し、「東洋のマジック!」と世界の人を驚かせた。
イタリア・ミラノでお披露目されたその機械は、糸をセットすると1着のニット服を一気にに編みあげたのだ。
「繊維産業は、縫製するという工程がある。ミシン1台に一人しかかかれない労働集約型の業界。そのために、人件費の高い日本や欧米では作れなくなり、日本国内の繊維産業は、空洞化どころか、消えてしまう危機的状況を迎えていました。そこで、人件費のかからない無縫製の服を作ろうと開発に取り組んだのです」
縫製のいらない立体的な服を「ホールガーメント」と名付け、それを作る機械をホールガーメント横編機とした。欧米を中心におよそ20カ国で8000台買われている。
数々の改良を加えてきたホールガーメント横編機だが、今年、立体的なデザインの領域を格段に拡げる最新鋭機の販売を開始した。
また、デザインシステムも高速・高精細な3Dバーチャルシミュレーションを開発した。
デザインしたものを3次元の立体映像で見ることができ、さらにカシミヤなど糸の毛羽が見えて質感までも再現することを可能にしたものだ。
「95年に世界で初めて発表してからちょうど20年。今年成人式を迎えて、一人前になった、ホールガーメント横編機を世に送り出すことができました。想像していたよりも倍以上よくなっています。今回の新しい編機とデザインシステムを組み合わせることで、現物のサンプルを作らなくても企画・提案することができ、低コスト・短納期で店頭に商品を並べられます。繊維産業を労働集約型から感性・情報産業に転換する革新的な製品です」
【さらなる進化を求める】
数多くの困難に常に不屈の精神で取り組み乗り越えてきた島さんが、モノづくりの日本として生きてゆくために贈ってくれた言葉は、
「まず、仕事を愛すること。すると、もっと早く、きれいに、など向上心が生まれ、そこに創造性が湧いてくる。それが新しいモノづくりにつながるのですが、実行、挑戦がなければ、完成はしません。やろうと思ってたんだが、といってもダメ。やってみて、ダメならまたやる。できたと思って、そこで止まったら、おわりです。一つできたら、エバーオンワードの心でさらに進化させることです」
『EVER ONWARD—限りなき前進』は、経営理念でもある。