Philosophy of the gentleman

Mr.紳士の哲学

紳士の哲学では、紳士道を追求するにあたり、
是非参考にしたい紳士の先人たちのインタビュー・記事を通して学んでいきます。

六代目 竹本織太夫

人形浄瑠璃文楽 太夫

ファッション哲学

名乗れる職人のものを選んでいます

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<一人で全てを語り分け、舞台を牽引する太夫のすごさ>
「文楽はロックの精神です」と言うのは、人形浄瑠璃文楽の太夫、六代目竹本織太夫さんだ。
「私ども文楽座が上演しております人形浄瑠璃文楽は、簡単に言いますと、もとは大阪天王寺の五郎兵衛さんといった農家が、修行の後、竹本義太夫と名乗り、道頓堀に興した竹本座を源流としております。この竹本義太夫の前にも、人形浄瑠璃は存在しましたし、発祥は京都です。その数多人形浄瑠璃が存在する中に現れたニューフェイスが竹本義太夫で、その当時の人形浄瑠璃界の重鎮と争った結果、義太夫が勝ったので、人形浄瑠璃といえば、竹本義太夫の竹本座というようになりました。難しく言うと、義太夫節以前を古浄瑠璃、義太夫以降を(新)浄瑠璃と言ったりします。漢字で自分の名前を書けないのが当たり前だった元禄時代に、文章が読み書きでき、経営もして、日本人のソウルを多彩な音曲(おんぎょく)にのせて民衆たちに語り聞かせるなんて、竹本義太夫は、完全にスーパースターでしょ」。
「大阪では江戸時代は歌舞伎よりも人形浄瑠璃の方が人気がありました。人形浄瑠璃はものすごい影響力があり、ときには大きな権力に対して、反骨精神はあるもののしなやかな対応でかわすという大阪人スピリッツがこの芸能の中にはあります」と力強く語る。

人形浄瑠璃文楽は、ユネスコ世界無形文化遺産に認定される330年以上の歴史を持つエンタテインメントだ。太夫と、三味線と、人形遣いの三業で構成され、人物の詞や心境、情景描写といったすべてを語る太夫(たゆう)と、人物の感情や情景、森羅万象を弾く三味線、生きているかのように3人で操る人形遣い。それらがひとつになって舞台を作り上げる。頂点となる太夫は全パートを語りわけ、演出家でもあり、全体をまとめあげて統率し、盛り上げる指揮者としての役割も果たす。

六代目竹本織太夫さんは、化政期から230年以上続く浄瑠璃の家に生まれ、幼少期から太夫に憧れ、志し、1983年8歳の時に、豊竹咲太夫に入門。初代豊竹咲甫太夫(さきほだゆう)を名乗って10歳で初舞台を踏んだ。2018年1月、八世竹本綱太夫五十回忌追善公演で歴代綱太夫の前名である織太夫を六代目として襲名。

竹本綱太夫家は、現在の人形浄瑠璃文楽の源流である竹本座の創始者、竹本義太夫の直系。竹本義太夫から数えて第四世代にあたる初代竹本綱太夫は、竹本座が83年の歴史で道頓堀から退転した翌年に、竹本義太夫座再興座本(ざもと)となり竹本座を再興した。以降、竹本綱太夫の名跡は九代を数え、六代目竹本織太夫に至るまでその芸統に混乱がなく、名人を輩出し続けた名家である。

 

<伝統とは、スピリットを次の世代に渡すこと>
「一般に人形浄瑠璃文楽は、伝統芸能と呼ばれますが、伝統という言葉自体が、明治以降に新しく作られた言葉です。それまでは『伝燈』と書きました。これは仏教に由来する言葉で、釈尊が亡くなる時に弟子が嘆き悲しみ「私たちはあなたが亡くなった後、何を支えにして生きていけばよいのか」と尋ねたところ、釈尊は「自燈明・法燈明」と答えました。つまり「私を支えにしてはならない。真理と、あなた方が正しい真理を追究したいと思う志を燈にしなさい」ということです。以降、真理を教え伝えることを「伝燈」と言うようになりました。ですから師から弟子へ教えを伝えることを「伝燈」と言うのです。その燈を伝えるためには、日々、油を差すことに尽きます。なので、油を絶やすことが「油断」というのです。常に新しい「油」、つまり新しいエネルギーを注がなければ、燈は維持できませんよね。その後、廃仏毀釈という不幸な歴史の中で、仏教色の強い『燈』の字から現在の『統』に置き換えられるようになり現在に至っていますが、油断とならないように、油を差し続ける、具体的には、自分のメラメラと燃えるスピリットを次の世代に渡すということが大事で、一度火が消えたら元には戻せませんから、ファイティングスピリッツを植え付けないといけません。そのマインドをカンパニーである文楽座の仲間たちに渡すんです」。

織太夫さんの舞台を拝聴した。一言で表現すれば「語る」ということになってしまうが、その一言から人形浄瑠璃文楽を観たことがない人がイメージする情報量からは想像もつかないレベルのパフォーマンスを織太夫さんはしている。織太夫さんの全身全霊の語りは、観客にものすごい熱量をもって響く。人形浄瑠璃文楽に対するあふれんばかりの愛情と、自らの芸に真摯に向き合う姿勢、語るひとつひとつの言葉に対する徹底的な解釈、そして絶対的な自信が感じられた。「『客席を沸かす』という言葉ありますよね。当然お客様は劇場の中で座ったままで、一歩も動きません。その人たちが手に汗握ったり、涙を流したりするのは、出演者の熱量が観客ひとりひとりに伝わって、その人たちの中で沸騰して、汗や涙になって表れるんです。具体的には、お客様の体温を沸かすのが私たちの仕事なんです。もうひとつイキ・呼吸も関係があります。同じように『イキを詰める』と言いますよね。お客様の涙が自然とあふれてくるのは、太夫の呼吸や三味線の鋭い『切っ先』がお客様の感情に刺さっているからなんですよ。包丁と同じです。お寿司屋さんは常に包丁を研いでいるでしょう。あれは包丁の切っ先で魚を捌き、魚を苦しませないことが大事で、『切っ先』で『止めを刺す』ということ。

また、会話をしているときに、言葉は勝手に出てきますよね。それは言葉が、完全に身体の中に入ってるからです。言葉が勝手に出てくるように、息は勝手に入ってくるんです。イキというのは、太夫が語る上でのブレスではなく、登場人物の息なのです。だから役が変わると息も変わる。切っ先の鋭いイキで登場人物の呼吸で語ることで、お客様に『止めを刺す』というわけです」。
太夫として日々研鑽を続けるのみならず、多くの人に文楽を知ってもらう活動も精力的に行う。それは、「文楽のすゝめ」というプロジェクトで、ひとりでも多くの人に文楽を好きになってもらう計画だ。彼には、様々なジャンルの、その世界のトップクラスの応援団が大勢いるため、その方たちに協力を仰ぎつつ、2018年に『文楽のすゝめ』、2019年に『ビジネスパーソンのための文楽のすゝめ』、2022年に『14歳のからの文楽のすゝめ』の3冊を刊行している。

「直近刊行した『14歳のからの文楽のすゝめ』では、人形浄瑠璃文楽の頭文字をとり『NJB』と名付けました。330年以上続く伝統芸能の人形浄瑠璃文楽というよりは親しみが湧きますよね。NJBは、世界から和製オペラだと絶賛される日本の誇る文化なんです。そのまま世界中の人たちに通じるような世界にしたいわけです。多くの人が知っている竹本座の座付き作者だった近松門左衛門だって、東洋のシェイクスピアと言われているでしょ。『文楽のすゝめ』計画はここ数年に具体化したプロジェクトですけど、実は23年前の2000年から大阪市立高津小学校というところで、小学生だけでNJBを上演する『高津こども文楽』の先生をしています。
毎年三十数人のNJB経験者が小学校を巣立っていくわけです。23年でかけ算したら約七百人と凄い人数ですよね。こうして地道に『文楽のすゝめ』を実践しています。続く4冊目の構想としては、国立劇場が建て替え期間に入ることや、2025年には大阪万博が予定されていますから、NJBの演目の聖地巡礼が出来るような本を考えています。それぞれの演目が書かれたのは遠い昔ですけども、大阪には今でもその演目の世界にタイムスリップできるような聖地がたくさんあるんですよ。それを多くの人に届けて、『文楽のすゝめ』にしたいと思っています」。

 

<5W1Hで纏う>

彼のこだわりや突き詰める姿勢はすべてに渡る。服を選ぶのも自分の目で職人の技術を見て納得し、自分の名前を出して仕事をしている人を尊敬する。20代の頃から、銀座にあるビスポークライン「PECORA GINZA(ペコラ銀座)」で、信頼する職人による上質なスーツを仕立て大切に着続ける。
「私たちは、舞台に出るときに必ず口上で名前を名乗って出るでしょ。だから、服でも靴でもなんでも名乗れるというのは、その人が自分の仕事に対して誠実に向き合っているという証拠だと思うんですよ。だから『技術』と『人』で選んでます。シャツはミラノのマンデッリおばあちゃんにずっと作っていただいています。スーツの生地は古いイギリスのもの、仕立てはイタリア、ジャケットはナポリスタイルでパンツはミラノスタイルが好きですね」。

公演中は、よく食べるので2キロほど体重が増えるため、シャツの襟も3ミリ単位で日常とは変える徹底ぶり。ネクタイはペコラ銀座で選んでもらうものの、今日のネクタイは日本ではこれ1本しか存在しない。
普段着るデニムやミリタリーは、ヴィンテージもあるが、マイ・ヴィンテージで育てたものが好みで、TPOをわきまえて纏うそうだ。

今、「令和 竹本座」構想を練っている。四国こんぴら歌舞伎大芝居で知られる香川県琴平町にある日本最古の芝居小屋、国指定重要文化財の旧金毘羅大芝居「金丸座」(かなまるざ)は、そもそも竹本座を模して建てられたものだった。
「歌舞伎公演で知られる金丸座は、天保6年に、竹本座(当時は筑後の芝居と呼ばれていた)を模して建てられました。なぜ竹本座を模したのかというと、竹本座が当時大阪で一番の芝居小屋であったから。その図面を写させるために、嘉助という金刀比羅宮お抱えの棟梁さんが、大阪の道頓堀まで赴き、克明に図面を写したそうです。その図面を基に建てられたのが金丸座。舞台から楽屋に至るまで全て竹本座と同じ寸法でできています。年に一度でもいいから、竹本座関係の人たちだけで竹本座を令和の時代に復活させたい。初代綱太夫が再興したのと同じように、綱太夫家の人間である私が、第二期の再興をしたいと思っています。これは大きな夢ですよ。ちなみに初代綱太夫の本名も嘉助といいますのでここでもまた何か縁を感じています」。

文楽は堅苦しい伝統芸能の人形芝居だという昔ながらの思い込みを取り払い、NJBという新しいジャンルの芸術として、観てみてほしい。世界から絶賛される唯一無二のエンタテインメントを体感し、その魅力にどっぷりつかってみれば虜になるかもしれない。

 

*公演は、大阪と東京でそれぞれ年に4回3週間ずつ。3月と10月は地方公演もある。
5月11日(木)~30日(火)の公演第一部(11時00分開演)の「菅原伝授手習鑑」は、日本三大名作のひとつ。この作品を皮切りに3年連続で竹本座は三大名作を生み出し続けた。第三部(17時45分開演)の「夏祭浪花鑑」は、『菅原伝授手習鑑』の前年に生まれた作品で、「操り段々流行して、歌舞妓は無が如し、芝居表は、数百本ののぼり、進物等数をしらず、東豊竹、西竹本と、相撲の如く東西に別れ、町中、近国ひいきをなし、操りのはんじやういはんかたなし」と言われた竹本座黄金期の作品。ぜひ観てほしい演目だ。
昔の言葉がわからなくても舞台には字幕も出るし、プログラムを購入すると小冊子で上演台本がついてくる。イヤホンガイドはリアルタイムで内容を解説してくれるので、初心者にはお勧め。
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2023/5512.html

 

文:岩崎由美
撮影:保坂真弓

六代目 竹本織太夫

1975年生まれ。祖父は三味線の二世鶴澤道八、大伯父は四世鶴澤清六、伯父は鶴澤清治、弟は鶴澤清馗といった、脈々と続く三味線の家筋である。8歳で豊竹咲太夫に入門し、太夫の道を歩きはじめる。数々の賞を受賞。Eテレ「にほんごであそぼ」などメディア出演も多数。文楽を広める活動も積極的に行う。

座右の銘「莫煩悩(まくぼんのう)」
鎌倉時代の臨済宗の僧、無学祖元(むがく そげん)の言葉で「一切の迷いの心や何かを満たそうと望む心を捨て、今なすべきことに集中し、信ずるところを行え」という意味です。

好きな本「あなたの生き方を変えるボイストレーニングの本 話す権利」
(パッツィ・ローデンバーグ著 劇書房刊)
英国ロイヤル国立劇場で16年間ボイストレーナーをされていた方の本で、呼吸することが人生全てに関わり、それがいかに大事かが書かれていて20代の時に出会い、バイブルのように何度も読み返しています。

好きな映画「バズ・ラーマン監督の作品」
バズ・ラーマンさんが好きですね。どの作品もいいですけど、最近のものでは『エルヴィス』かな。
全ての作品にいえますが、監督は戯曲を大切にしていて、とても原作へのリスペクトがあり、原文でありながら時代背景を現代に置き換えるなど音楽のセンスも抜群です。

ダンディズムとは

古き良き伝統を守りながら変革を求めるのは、簡単なことではありません。しかし私たちには、ひとつひとつ積み重ねてきた経験があります。
試行錯誤の末に、本物と出会い、見極め、味わい尽くす。そうした経験を重ねることで私たちは成長し、本物の品格とその価値を知ります。そして、伝統の中にこそ変革の種が隠されていることを、私達の経験が教えてくれます。
だから過去の歴史や伝統に思いを馳せ、その意味を理解した上で、新たな試みにチャレンジ。決して止まることのない探究心と向上心を持って、さらに上のステージを目指します。その姿勢こそが、ダンディズムではないでしょうか。

もちろん紳士なら、誰しも自分なりのダンディズムを心に秘めているでしょう。それを「粋の精神」と呼ぶかもしれません。あるいは、「武士道」と考える人もいます。さらに、「優しさ」、「傾奇者の心意気」など、その表現は十人十色です。

現代のダンディを完全解説 | 服装から振る舞いまで

1950年に創刊した、日本で最も歴史のある男性ファッション・ライフスタイル誌『男子専科』の使命として、多様に姿を変えるその精神を、私たちはこれからも追求し続け、世代を越えて受け継いでいく日本のダンディズム精神を、読者の皆さんと創り上げていきます。