【瞬きしないで 25 分】
「瞬きしないで、何分ぐらいいられると思います。最大 25 分ですよ。
と言っても宅配便が来ちゃったんで止めざるを得なかったんですけどね、それが能の演技に必要なんです。」と、豪快に笑う勝海さんは、国際交流基金から派遣され「能」を世界で上演する重要無形文化財総合指定保持者 観世流能楽師シテ方だ。
能の舞台の中心人物であるシテは、能面の中で己を無にして演じている。
観客は、小野小町や在原業平を観に来ているのだから無私でなくてはならない。
「能面をつけて素顔が見えないから といって油断していると客席から見抜かれます」。
息を止め、瞬きひとつせず、演目によっては 10 分間じっと動かないものすらある。
動かない時に 100 年の時を超え、何千キロの距離を動く、想像と抽象の世界だ。
「能のゆっくりな動きほど大変なものはないんですよ。動かないほど力が入る。
肉体は動いて いなくても精神やストーリーは動き、舞台に存在していても物語上は存在しないというような表現は欧米の演劇にはないようです」(勝海)。
国際交流基金から派遣され、世界各国で「能」を舞い、今年はカザフスタンとキルギスで『羽衣』、『船弁慶』、カザフスタンの民族音楽のアーティストとのセッションを行った。
「時間と空間 を一致させれば、どんなものでも舞えます。
お客様もテーマが共通していれば理解できます。能 を通して日本の精神文化、日本そのものを伝えたいですね。
能には、国を超えた普遍的なものが あり、世阿弥の『花伝書』は国、宗教は関係なく世界のどこに持っていっても伝わるものです」 (勝海)。
能は、世界の人々に愛され、言葉のいらないコミュニケーションなのだ。
【そろばん教室から、能楽師へ】
勝海さんは子供のころ、近所のそろばん教室に通っていた。
その先生の弟さんが、能楽師だっ たため、たまたま習い始めたのがきっかけだ。
本来は世襲制の世界だが、内弟子に入り、芸大の 専修科を出て気がつくと能楽師になっていた。
勝海さんは世阿弥の言葉を引いて、「『家は家にあ らず。継ぐをもて家とす』です」と教えてくれた。
また、お父上が画家でいらしたので芸術に造 詣が深く、応援してくれたのも追い風となった。
舞台も何度も見に来て描いてくれた父上の『羽衣』という作品が勝海さんの宝物である。
懲り性で、ひとつのことをやりだすと没頭するタイプ。
「『人生一生酒一升 あるかと思えばもう空か』ってね、一生は限りがあるわけですよ。
お酒もあっという間になくなっちゃうけど、能 人生も始まったと思ったら、もう終わり近くなってるからね」(勝海)。
【紳士とは、軸がぶれないこと】
能面を見せてくれようと立ち上がった勝美さんの身のこなしが何とも敏捷で美しい。
さすがに、 週に2、3度筋力トレーニングのためにジムに通っているだけのことはある。
紳士とはどういう人だと思いますかという質問に「軸がぶれないこと。
大事なのは先人の教えです。400 年、500 年と続く能面を演者が受け継いでいきますので、一人でじっと面についた 汗染みを見ていると、これをつけた何人もの演者に思いがいき、古に帰ります。
継承するというのはそういうことです」と話してくれた。
歴史と伝統と先人たちの思いを継承する。これもまた、紳士の生きざまである。
文 岩崎由美