(フルートをふく社長)形見のフルートを吹くと、先生の香水の香りがする
<プロのフルート奏者から、8代目龍角散社長へ>
代々続く老舗医薬品メーカー「龍角散」7代目社長だった父親が音楽が好きで、藤井さんは3歳のころからバイオリンを習い、小学生の時には既にフルートを吹いていた。名門音楽大学の付属高校に入り、音大在学中からプロの演奏家として活躍していた彼が、なぜ会社を継ぐことになったのか。どうして音楽家のように繊細で細やかな神経を張り巡らせる仕事をしていた方が、倒れそうだった企業を大胆に蘇らせることができたのか。
桐朋女子高等学校音楽科(共学)に入った時、「会社のことは気にしなくていい。オーナー経営だからといって世襲でつなげなければならないわけではない。経営なんて向いている人がやればいい。その代わり甘えは許さないからちゃんと食えるようになれ」と父親から言い渡され、徹底的にプロの道を行こうと歩み始めた。資金を貯め自分の力でパリにも留学した。
ただ、音楽学校ではマーケティングが学べない。「誰に何をどういうふうに聴いてもらったらいいのかをずっと考えてました」。そんな時に父親から「音楽以外の仕事に興味はないのか」と聞かれ、「やります」と「音楽をスパッとやめて」、小林製薬に入社した。
「私にとっては営業の仕事もステージに出て演奏するのと同じで、一回始めたら最大限の努力をして、途中で止めるわけにはいかない」と必死で働いた結果、営業成績はトップになり、当時の小林社長から「まさかここまでやるとは思わなかった」と褒められたそうだ。その後、父親から「大企業に行って勉強してこい」と、龍角散の子会社が提携していた三菱化成(現・三菱化学)に入り、父親が病気になって呼び戻されるまで8年間勤務した。
<奇跡の復活 会社を立て直す>
龍角散に入ったのはいいものの、「現場を回してください」と言う藤井さんに古参の幹部たちはこぞって反対する。「ろくな学校も出ていないのに偉そうに言うじゃありませんよ、現場に行っても何もわかりませんよと言われて怒ったね、私は。強行突破して営業と一緒に全国を回り工場にも行きました。大体わかってはいたけど、全然売れないし、工場もつくるものないし、一番恐れたのは社員に危機感がなくてオーナー経営だから何とかするんじゃないかという頼り切った体質でした」。
さらに財務諸表を見て驚いた。売上が40億円なのに借金が40億円以上あったのだ。「金利がちょっとでも上がったら最後です」。
「家内に相談しましたよ。中小企業は社長が個人補償するから40億円の借金を背負うことになる。逃げる手もあるけどどうすると。すると、今までお世話になった会社、製品、お取引先があって大人になれて音楽も勉強させてもらえたのに、ご恩返ししなくていいんですかと言ってくれましたね」。
それから、いばらの道が始まった。営業本部長を兼務して全国を飛び歩き、どうしたらいいか考え続けた。
「医薬品メーカーとして長い歴史と技術はあるし、ブランドイメージは生薬で優しい。そこをお客様は評価してくれている。」。
そこでまずは、商品の選択と集中を行うことにした。社員は増やさず100名。工場は徹底的に自動化した。10年かけておこなったのは「のど」に特化していくことである。風邪の予防や、花粉でイガイガするとき、PM2.5が飛んでくるときや祭りで大きな声を出すときなどに使って喉を静めたいという顧客につかってもらおう。
そして今、龍角散シリーズとして微粉末の「龍角散」に加え、「龍角散ダイレクト」「龍角散ののどすっきり飴」、さらに、「らくらく服薬ゼリー」「おくすり飲めたね」という服薬補助製品を出している。社長に就任して25年たった今、無借金で、今年度は約200億円の売上に届きそうな勢いである。
<世のため人のためになるのであれば>
のどの専門メーカーとして「目の前で救える命があればやるべきだ」と98年に世界で初めて開発した「服薬補助ゼリー」は、薬を飲みやすくするためのゼリー状のオブラートである。世界各国(日本、米国、欧州など)で特許を取得し、日本薬剤学会の賞など数々の賞を受賞している。嚥下機能が落ちたお年寄り向けの「龍角散嚥下補助ゼリー」、服薬を嫌がる子供向けの「おくすり飲めたね」など、使う人に「助かった」と言われる商品だ。
「社内では猛反対だったですね。役員会でマーケットがあるかどうかわからないと否決された。そもそも市場なんてものはなくて、市場をつくって売ればいい。失敗したら俺が買い取るからいいだろう。救われる命があるならば」と押し切った。
龍角散のルーツは江戸時代にさかのぼる。秋田藩の御典医であった初代藤井玄淵が創薬し、3代目藤井正亭治が、藩主がぜんそくで苦しんでいるのを見て楽にしてさしあげたいと改良した。明治維新以降、一般に販売することになり、そこから商売が始まった。「人助けのためにできた製品で、儲けるためにつくったものではない。その原点だけは譲ってはいけない。当社の製品で少しでも健康になって頂ければ」という理念は、決して変えてはいけないものである。藤井さんが社長になって「まったく別の会社」になったけれど、この存在意義だけは絶対に変えてはいけないものとして守り続けている。
(フルート)宝物は、フランス留学時代のクリスチャン・ラウデ先生の形見の純金のフルート
<会社はオーケストラと同じ>
「会社っていうのはオーケストラと同じだと思っているんです。全体の総譜を持っているのは指揮者だけで、それぞれはパート譜しかもっていない。指揮棒を上げた瞬間に全員こっちを向いてくださいと、これが理想的な組織だと思いますよ。それが効率的だと思っているし、当社の場合は必然的にそうなりました」。
藤井社長がすべての現場に行って、世の中を見て、ドンドン判断し、決断していく。
「指揮者がどういうふうにアピールしたいんだという未来予測があって、バンとふる。そのために日頃練習して角度を上げて、お客さんに感動してもらうんです。社員の皆さん、いかがしましょうかということをやっていたら音の羅列になってしまう。指揮者は結果責任を負っています」。
海外展開も実は50年以上前から実施しているのだが、さらにインバウンドが注目される前から海外の旅行者向けフリーペーパ-に広告を掲載し続け中国人を呼び寄せた。3年前から越境EC、SNS、中国で最大人気のWeChat、中国のナンバー1オンラインショッピングサイト天猫や、アリババ、業界のECサイトなども率先して作り、中国では神薬とよばれるほど人気があるそうだ。
「経営というのは先を行かないとね。ものがいいのは当たり前。究極的にはどういうメーカーがつくっているのか、誰が作っているのか、どういうポリシーでやっているのか、それが一番大事です。老舗企業ほど、もとはベンチャー企業だったんです」。
「みなさんの身の回りの商品は、ライフスタイルの変化に影響を受けます。私は35歳の時に30年後どうなるか考えた。だからトップダウンでガーっとやるのはあと5年位しかできません。たぶんもっとやろうとすると失敗するでしょう。問題はこれからです」。いままでの成功体験をゼロにして実行するのは次の世代だと極めて冷静に分析している。
藤井社長は、会社のやり方をオーケストラに例えながら、効率、スピード、競争力、瞬発力、独自性だと説明し、パリに留学した時に先生から言われた「音楽は自分が訴えたいことを表現するものだ」という言葉がなかったら今はないと語る。音楽で学んだことを経営にあてはめ、藤井社長の人生観を「龍角散」という会社で表現し、観客に感動を与え、万雷の拍手で迎えられているのだ。
2019年5月17日東京・第一生命ホールで開催される「World Peace Concert in Tokyo2019」に出演する
文:岩崎由美 撮影:岩村紗希
URL:https://www.ryukakusan.co.jp/