<公家五摂家のひとつ、二條家46代目>
二條家は、藤原鎌足から1300年以上も続く藤原氏の末裔で、朝廷内で最も格式の高い公家五摂家の一つ、華族の公爵という家柄である。
二條隆時宗匠は、二條家の46代目。現在、初心者向けに創設した香道「桜月流」元家元で、「桜月宮」宮司、歌人、茶人、仮名書家でもある。「日本には芸事のピラミッドというのがありましてね、一番上が天皇陛下で、陛下をお慕いし敬い守っていただくという考えのもとにできあがっています。
陛下の下に、まず和歌があり、和歌を嗜むために色んな教養が必要で、お華、書、お香、お茶だとかがございます。和歌というのは実は音楽なんでございますよ。詠うということが重要でございますから朗詠や、伴奏のための歌舞音曲も弾けなきゃいけない、その時々のための有職故実と言われるようなものも必要ですし、源氏物語や古今和歌集といった古典や漢文にも習熟し、それに聖徳太子ぐらいからの歴史を知っていないとつまりません。さらに野山に行って和歌を作るので、花や木、景色の名前、歌枕の習熟、作庭などすべて整わないとできないんです。料理や器にも精通してそれらを味わい尽くし、その中に愉しみや歌の良しあしを見出すので、ありとあらゆる日本文化が和歌に集約されている、二條家というのはそういう和歌の家なんでございます」(二條宗匠)。
宗匠は、それらをすべて修得するのは今の時代、なかなか難しいと考え、初心者向けに3年間で簡単に修験できる流派「桜月流」を2008年に立ち上げた。
1年目は日本の歴史、2年目は文学、3年目は有職故実を学び基礎知識をつけ、和歌を愉しむための入り口として書やお香を学んでもらおうというものだ。茶道などで日本文化を少しでもかじっていると「とてもお香まではたどり着けない」と考えてしまうものだが、若い人は「アロマセラピーの延長のようだ」と敷居低く入れる。「桜月流」で今までに相伝できる(人に教えられる)直弟子を13人育てあげ、現在、通ってきている一番若い弟子は高校2年生だ。
<文化を繋げるということ>
香道の家元は、いま、日本に29しかない。「お茶で1800、お花は3000、踊りも5000ぐらいの流派が残っているのを考えると、風前の灯火でしょ。滅びなくちゃならないものは滅ぶしかない。一生懸命活動をしてもその治世、時合にあわないものは滅んでいくしかない」と宗匠はその厳しさを語る。
二條さんは最初、家元を継ぐ気はなく32歳までクラシック音楽の世界にいた。ところがあるとき時間があって家にいたら母親から「何かしたら」と言われ、つい「家を継ぐ」と言ってしまった。18歳までに家を継げる資格は全部取得し相伝してきてはいたが、自分から「継がせてください」と言葉に出さない限り継ぐことにはならない。お祖父さまは父親に継がせず、自分で墓に持っていこうと決めていた。それを二條さんが「継ぐ」と言った瞬間から歯車が動き始め「そのあとの1年間はまったく覚えていない」ほど目まぐるしい日々を送ることになる。
「文化をつなげるって習い事だけつながっていくわけじゃなくて護送船団のようにそれに付随しているものがたくさんあるんです。たとえば、宗家になるためには宣誓書という決意書を書かなくちゃいけないんだけどそれを書くための『三彩の陶硯』というのが必要で、それを作っている人は、もう一人しかいなかった。ところがその方は伊勢神宮に奉納している方で、1年先にならないと作れないと。書く紙も『二重唐草向獅子紋の唐紙』と決まっていて、祖父の使ったのが2枚残っていたのを鳩居堂で見せたら『版木をお預かりしています』と。ところが、刷れる人が一人しかおらず、しかもロットが1万枚からだと言われて無理だろうということになった。そこで祖父が残していた2枚のうちの1枚を使って、硯も本当はまっさらなものを使わなくちゃいけないのに、祖父が使ったものを使いました。
気が付いたら職人がいないんですよ。教養を継ぐだけじゃなくて、職人も連れてかなきゃならないものが山ほどあったんです」(二條)。
<ダンディズムとは大人であること>
守り、必死の努力で継続していかなければ続けることが難しい伝統文化だが、「古いものを守っているだけじゃなくて、時代事象にあった文化を提供していかないと意味がない。その時代のダンディズムでないと実は人に訴えかけられない。古いものになっちゃダメなんです。ですから今の文化に即していることには目を光らせていようと思っています」。そのためにも、新しい流派を立ち上げられたのだろう。
二條さんは、文化を雅(みやび)、猛(たけび)、侘(わび)、寂(さび)、荒(すさび)、遊(あそび)の6つの形態で捉え、それが回っていると考えている。
「コロナ禍になって、3年前と文化の様相が全く違っちゃいましたね。今の時代、荒びに本当に入り始めた。今まで正しいと思っていたことがそうじゃなくなって、色んなものが荒び始め、特に荒んでいるのが心です。社会不安で自殺する人間なんていませんでしたよ。借金に追われてじゃなくて、子供たちが将来が不安だから死んじゃうって、どんな時代なんでしょう。そんな時代にダンディズムなんて言うと『だから何?生きていくほうが大事でしょ』なんて言われちゃう」(二條)。
さらに言うならば、人はコロナウイルスで死が身近になり、埋まらない喪失感で心が荒んでいく。どうにもならないことがあるということを知り、受け入れなければならない。それこそが大人になることであり、いかに生きていくのかを考える契機になると語る。
「これからの時代、混沌としますが大人が増えていくような気がします。ダンディズムとは大人の考えだと思い至りました。荒びの時代のダンディズムは、喪失感にこそあるのではないでしょうか。この時代が進むと遊(あそび)の時代がきて、生きていくことが楽しくなっていく。ダンディズムは、文化事象に大きく影響され、ジェンダーの時代には女性にもダンディズムが起こり始めると思います」(二條)。
日本文化の頂点である和歌の家を継ぎ、香りで妄想の世界を遊ぶ香道、書、歴史などへの興味の道筋をつける二條宗匠は最後に「歴史を学ぶ意味は、人は必ず間違えるということを知り、それを許容することにあるんです」と語られた。間違えてはいけないという教えは、生きることを窮屈にさせる。いまの閉塞感から抜け出す手がかりがそこにある。
文:岩崎由美 撮影:岩村紗希