Taste of the gentleman

紳士のたしなみ

紳士のたしなみでは、紳士道を追求するにあたり、
是非学びたい気になるテーマについて学んでいきます。

イタリア紳士の独り言

美食の探求・日本料理とイタリア料理

「私がこの世で一番好きな場所は台所だと思うよしもとばななの小説「キッチン」のこの冒頭のフレーズに私が深く共感を抱くのは、おそらく、食べることを大切にする家庭で生まれ育ったためだと思われる。
私の父は母と結婚の際、イタリア第一の料理人ペレグリーニ・アルトゥージ著の家庭料理の古書を母に贈った。1900年に発行されたこの本には、著者が多年 情熱を込めて培った実に790ものレシピが掲載されており、現在においても読みつがれている。ため息の出るようなレシピ、食についての深い考察、食卓にま つわる活き活きとした文章は、今なお生彩を放っており、イタリアにおけるすべての一流の料理人は、この本からインスピレーションと助言を何がしかの形で受 けていると言っても過言ではあるまい。

私の母は、この「料理の聖書」を熟読、使用し、書かれたレシピを基に母自身が考えたレシピを本の末尾に几帳面に書き加えていた。その中でも、ガチョウのレバーのペースト、ピエモンテ風アニョロッティ(ラビオリ)は、今でも招いた客から絶賛をうけている。
幼い頃より両親の食に対する情熱に親しんできたためか、私自身も結婚後、イタリアの伝統的な料理への情熱に目覚め、妻と(決まって冬季に)共に料理教室に通うまでになり、今では毎週日曜の昼食には平日に料理を妻に代わって、私が鍋とフライパンを握っている。
私が日本へ最初に訪れたのは60年代の最後だった。日本料理に対し、初めは慣れ親しんだ地中海風の料理との違いに当惑することばかりだった。しかし仕事で来日を重ねるごとに、徐々に料理を知るようになるとその魅力に引き込まれた。

イタリアでは当時、多くの人が中華料理(先にイタリアに広まった)と日本料理(後から広まった)を混同し、似たような料理だと思い込んでい た。ミラノには日本料理店は2店、EndoとSuntoryしかなかった。私は、ミラノを訪れるクライアントの接待にかこつけ、この2店へ足繁く通った が、実のところは日本料理の虜になっていた。

Suntoryの功績は、鉄板焼きをミラノに紹介したことである。和食と洋食の中間のような鉄板焼きは、日本料理に馴染みのないイタリア人にも食べやすく、日本料理に親しむきっかけになったに違いない。
日本においても60年代はまだイタリア料理店はごくわずかしかなかった。東京で入ったあるトラットリアでは、赤と白のチェックのテーブルクロス、空のフィ アスコが並ぶ壁、そしてリリカルなバックミュージックでイタリアらしい雰囲気を醸し出そうとしているのがわかったが、店の日本人シェフの勧めで注文した料 理は、本物のイタリア料理とはまったく異なるものであった。
また、そのシェフはイタリア滞在していたことがあるのか、もしくはイタリア料理店での経験があるのか尋ねてみたところ否定的な答えが返ってきた。ではどの ようにしてイタリア料理を学んだのか?「日本語に翻訳されたイタリア料理の本を彼に渡して・・」と彼が歯切れ悪く答えたことを思い出す。

しかし、いまでは日本には数多くのイタリアンレストランがあり、そのレベルも目を見張るようになった。日本滞在の際、私は土地の料理を味わ うことを好むが、それでも時折リゾット(私の好物のひとつ)が恋しくなると、例えば原宿の「Mangia Pesce(マンジャ・ペーシェ)」に行く。この店のリゾットの味はミラノのリストランテにも勝ると思う。
そして日本料理についても、いまでは高級店から気軽に入れる食堂まで気に入りの店をいくつも挙げることができる。まずは大阪の日航ホテルの近くのふぐ料理 店。そして、大阪空港の近くにある信じられないほどのバリエーションの串揚げを出す小さな居酒屋。鉄板焼きなら、元チーフ・スチュワーデスの女主人が営 む、まさに舌の上で溶けんばかりの松坂牛を出す神戸のレストラン。寿司・刺身では、築地市場脇のまだ飛びはねているような生きの良い魚を出す寿司屋が気に 入りだ。

私は、日本料理のなかに中華料理とは異なる、崇高な精神を感じる。ただ舌を満足させるだけではなく、季節の変遷を表す盛り付けなど、視覚的な美しさが追求されたまるでひとつのアートのように思うことがある。

日本料理の特徴は、献立のバライエティ・多様性にあると思う。変化に富んだそして料理人の個性を反映したコースは、客を味覚と季節をめぐる 旅に連れ出す。コース一品一品についての緻密なプランニングのもとに、選びぬかれた材料を使い、隅々まで細心の注意がはらわれた種々の料理。それぞれの品 の量は控えめで、繊細であり、味、歯ごたえ、色そして形の多様性が食べる者に新鮮な感動をもたらしてくれる。

そして、「ストリート・フード」についても、イタリアと日本は、レベルが高く、合い通じるものが見られると思う。大阪でお好み焼きを、フィ レンツェでランプレドット・パニーノ(牛の臓物の煮込みのパニーノ)を買って間違うことはない。味と質が良い以上に、道端で食べることにより、より美味し く感じることも共通点である。

5月には、2015年で開催される万博が開催される。食と栄養についての未だかつてない規模で開催されるこのイベントでは、世界の食物需 要、健康で安全な食生活、地球環境に配慮しつつ全人口をまかなう持続可能な食糧供給など、まさにいま全世界が直面している切実な問題について、各国からの 最新のテクノロジーを駆使した具体的な提案がなされるはずである。

日本からは、模範的な食文化をもつ国として、健康な食生活、持続可能な食についてのプレゼンテーションがあるだろう。日本の米、生魚、野菜 をベースとしたバランスの取れた食卓は、世界の肥満に悩む何百万もの人のモデルとなるべきで、また、食育、または食物を無駄にしないための教育は非常に有 効なものだと思う。

ミラノ万博の標語は「健康とEdutainment」。
「楽しみながら学ぶ」
この万博で、日本パビリオンをどこよりも先に訪れるつもりだ。

FRANCO FERRARO(フランコ・フェラーロ)

1940年イタリア・ベルチェリ生まれ。ファッションデザイナー。
自身のブランド「FRANCO FERRARO」を展開中。

ダンディズムとは

古き良き伝統を守りながら変革を求めるのは、簡単なことではありません。しかし私たちには、ひとつひとつ積み重ねてきた経験があります。
試行錯誤の末に、本物と出会い、見極め、味わい尽くす。そうした経験を重ねることで私たちは成長し、本物の品格とその価値を知ります。そして、伝統の中にこそ変革の種が隠されていることを、私達の経験が教えてくれます。
だから過去の歴史や伝統に思いを馳せ、その意味を理解した上で、新たな試みにチャレンジ。決して止まることのない探究心と向上心を持って、さらに上のステージを目指します。その姿勢こそが、ダンディズムではないでしょうか。

もちろん紳士なら、誰しも自分なりのダンディズムを心に秘めているでしょう。それを「粋の精神」と呼ぶかもしれません。あるいは、「武士道」と考える人もいます。さらに、「優しさ」、「傾奇者の心意気」など、その表現は十人十色です。

現代のダンディを完全解説 | 服装から振る舞いまで

1950年に創刊した、日本で最も歴史のある男性ファッション・ライフスタイル誌『男子専科』の使命として、多様に姿を変えるその精神を、私たちはこれからも追求し続け、世代を越えて受け継いでいく日本のダンディズム精神を、読者の皆さんと創り上げていきます。

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