紳士が知るべき七宝工芸
第1回 伝統工芸品の職人、田村有紀です
田村七宝工芸 田村有紀(TAMURA YUUKI)です。
わたしは明治16年創業七宝焼の窯元、田村七宝工芸の娘でゴダイメです。
現在わたしの父、田村丈雅(TAMURA TAKEMASA)が四代目で当主です。
このたび、「紳士が知るべき七宝工芸」として、
記事を書かせていただくことになりました。
こうして目にしていただける機会をいただけてとても幸せです。
本当に有難う御座います。
七宝焼ってなんぞや?
魅力ってなに?
伝統工芸って?
後を継ぐことって?
どんな生活してるの?
どんな作品があるの?
そもそもおまえだれやねん
など、職人としてみなさまに知っていただきたいことや、
七宝の魅力はもちろん、ここだけの話、
知ってたらちょっと面白い話、わたしのこと、
いま取り組んでいることなどを書かせていただけたらなと思っています。
文章拙い部分もあるかもしれませんが、
なにかこの記事を通し、みなさまとのご縁ができればうれしいです。
どうぞあたたかくお付き合いください。
七宝焼って?
まず今回は七宝焼ってなに?の話からさせていただこうと思います。
「ロクロを回すんでしょ?」とよく聞かれますが、まわしません。
「こんなの失敗だ!パリーン!ってやるんでしょ?」やりません。
七宝焼は、金属にクリスタルガラスを焼き付ける宝飾工芸品。
絵柄を描くのに金や銀を使用し、繊細な絵柄を描きます。
「デザインできる宝石」「宝石で絵を描く」とも形容される、
美しい伝統工芸品です。
多数の工程数があり、
700~800度の窯で工程ごとに焼きます。(焼成と言います)
ですので、完成までに10回程度焼くこともあるのです。
工程数が多い工芸品ですので、制作には時間と手間がかかります。
話は戻りますが、
よく「ロクロ回すの?」と聞かれます。
七宝工芸は、金属工芸とガラス工芸が合わさった合体工芸です。
素地が金属で出来ていますので、ロクロを回すわけではありません。
どちらかというと彫金。
ロクロを回すのは、土やセラミックなどで形成する陶器、陶芸です。
有田焼、備前焼、萩焼、瀬戸焼などなど・・・
「焼き」がつくこの手のものは全て「陶芸」というジャンルになります。
使用用途は日用品。お茶碗などをより良くしようと派生し今に至ります。
七宝焼も「焼き」がつきますし事実焼くので大変紛らわしいのですが、
「陶芸」ではなく「七宝工芸」という独立ジャンル。
最初から宝飾品として発展してきました。
昔は宝石と同じく物品税が工芸で唯一ついていたほど、宝石扱いだったのです。
ちなみに、
「陶芸」にはいろんな焼き物があるのに対し、
「七宝工芸」には七宝焼しかありません。
陶芸は陶芸で素晴らしい魅力あふれる工芸品ですが、
七宝工芸とは歴史もジャンルも用途も素材も違うのです。
七宝焼は愛知県の七宝町(現・あま市七宝町)発祥の伝統工芸品で、
我が家は七宝町にて代々七宝焼業をさせていただいております。
わたしは小さい頃から職場で遊び、手伝いをし育ちました。
私と父。手伝っている気になっているんでしょうね〜笑
わたしは職場で遊び邪魔をし手伝いをし育ちました。
わたしが一番七宝焼の魅力を知っています。
しかし、この美しい七宝焼。
昔はこの小さな町に七宝焼の窯元が100も200もありましたが、
なんと現存残り8軒。どこも跡継ぎがいるという噂は聞きません。
わたしが最後の跡継ぎです。
日用品ではないので時代や不況の煽りを受けやすく、
売れないのはもうコンテンツとして時代に淘汰されたのか?
両親の作品とてもかっこいいと思っているのはわたしだけなのか?
と考えた時期もありました。
しかし、世界中の人に知ってもらい見てもらって
「いらない」「かっこよくない」などといわれたら納得しますが、
まだそうではない。諦めるには早すぎる。
わたしは七宝焼の魅力を一番良く知っていて、作ることもできる。
両親は技量もある。
我が家は代々素敵なものを作っているという自負もある。
デジタルネイティブ世代でもあるので、
PC、スマホ、SNS、発信も微力ながらできる。
他業種を経験したので多少客観的に考えることができる。
「時代に淘汰されたと考えるにはまだ早すぎる。
知ってもらえたら絶対に好きになってくれる人はいる!!」
そう思って、技術を磨くと同時に、挑戦を続け、
知ってもらうきっかけづくりにも力をいれています。
まだまだ勉強中の身ではありますが、
あたたかく応援いただけたらうれしいです。
次回は・・・
「こんなの失敗だ!パリーン!ってやるんでしょ?」やりません。
そもそもなぜ「こんなの失敗だ!パリーン!」っという事態になるのでしょう?
その理由は2つあります。
というお話から書かせていただきます。
今後ともよろしくおねがいいたします(^^)
田村有紀でした。