Taste of the gentleman

紳士のたしなみ

紳士のたしなみでは、紳士道を追求するにあたり、
是非学びたい気になるテーマについて学んでいきます。

紳士が知るべきブランドストーリー

<前編>ボルサリーノの歴史

■ ボルサリーノの歴史
ボルサリーノ01
1957年のボルサリーノ本社工場

● 帽子作りを追求するジュゼッペ少年
帽子の代名詞にもなっているボルサリーノ。その歴史は1857年にまで遡ることができる。
創業者のジュゼッペ・ボルサリーノによりイタリアのピエモンテ州アレッサンドリアに、フェルト帽の芸術的職人だけを集めた工房を設立したのがボルサリーノの出発である。
もともと彼は帽子職人として人生を歩んできた。
ボルサリーノ02
創業者 ジュゼッペ・ボルサリーノ

14歳のときに同地の帽子工場で見習工として働き始め、帽子作りの基本的な技術を習得していく。通常ならそのまま独立を考えそうなものだが、彼はもっと広い世界に目を向けていたのだ。当時、帽子の流行をリードしていたのは紳士の国イギリス。そして帽子作りの技術に長けていたのがフランスであった。彼はさらなる技術習得を求めてフランス行きを決意するのだ。

● パリで帽子作りを習得
ジュゼッペはフランスに渡り、数年間パリで帽子作りを学ぶ。その後イタリアに帰国し前述したように小さな工房を構えるのである。ジュゼッペ23歳のときだ。当時のイタリアはまだ帽子作りの後進国。一人の青年の勇気がその後のイタリアの帽子産業の躍進を導いたといってもいいだろう。

ボルサリーノ03
 ボルサリーノの創業地、イタリア アレッサンドリア

 

■ 効率の為に、いかなる品質を犠牲にすることもできない
● 10人の職人からスタート
ジュゼッペの工房は当初から大きなものではなかった。10人ほどの職人を雇うのが精一杯という小さな規模の工房に過ぎなかったが、それでも4年後の1861年には60人の職人を抱え、日産120個という成長を遂げている。この頃には社名を「ボルサリーノ・ジュゼッペ・エ・フラテッロ」にしている。

とはいえジュゼッペは大規模な工場にして大量生産するつもりは創業当初からなかった。
「効率の為に、いかなる品質を犠牲にすることもできない」
というフィロソフィーを抱いていたため、最上の素材と上質の機械を値段に関係なく揃えることに徹していたという。まさに現在のボルサリーノの基礎を創業者が作ったといってもいいだろう。そんなジュゼッペも1897年に息子のテレジオ・ボルサリーノに経営を譲って引退。このように生涯にわたり帽子作りに携わったジュゼッペの生涯は1900年に幕を閉じる。

ボルサリーノ04
1957年の工場内の様子

● パリ万博でグランプリ受賞
彼が亡くなった1900年にはちょうどパリで万国博覧会があり、ボルサリーノの帽子がみごとにグランプリを受賞している。その後ロイヤルファミリーを顧客に迎えるなど、高級帽子ブランドとして世界中にその名を広めていったのである。この頃になると職人の人数も1000人を超え、年間75万個を生産するようになる。そのうちの45万個が海外へ輸出されている。テレジオの経営になってすぐに、海外でも名の知れたブランドに成長を遂げたということだ。

■ 新しい帽子デザインを生み出す柔軟性

ボルサリーノ帽子5.619世紀、上流社会の紳士たちが地位を示すために愛用した トップ・ハットと初期のボウラーハット。
ハード・ハットの生産からボルサリーノの歴史が始まる

● ハードなイギリスの帽子
1900年代に入ると、使用する素材のフェルトもソフト化が進み、デザインも一新する。当時デザインされたものに新しいスタイルのボーラーがある。ボーラーはソフト帽とは対極にあり、硬いフェルトで作られたドーム型のハード帽で、喜劇俳優のチャップリンでもお馴染みの帽子だ。この硬さと形状には理由がある。もともと森林や茂みのパトロールをする際に枝葉から頭部を守るために開発された猟地の番人用の帽子だったのだ。イギリスでは第一次世界大戦と二次世界大戦の間で、年間7000個ものボーラーが作られロンドンのビジネスマンに愛用されたという。まさにイギリス紳士を象徴する帽子なのだ。

● 凹ませた斬新なデザイン!
ボルサリーノの新型のボーラーは、そんなイギリス紳士の代名詞になっているボーラーのドーム部分をなんと凹ませてしまったのだ。このデザインの起源には諸説あるが、ある日のこと、紳士がステッキで頭部を殴られた際に、かぶっていた帽子が凹んでしまったのが始まりとも言われている。つまりセンタークリースのあるボーラーの誕生である。
さらに1940年代半ばには柔らかなフェルトで作ったセンタークリースのホンブルグハットを発表している。現在のボルサリーノの原型ともいえるソフトハットスタイルは1940年代に完成していたのである。
ボルサリーノ帽子7.8
左:1900年ごろ造られた、ボウラーハット。
  ボウラーでありながら、センタークリースが施された当時では新しいスタイルが、
  今日のスタイルに引き継がれる。   
右:1946年ごろ造られた、ホンブルグハット。
  ドレッシーな出来上がりが品質の良さを証明している。

 

● 早くから日本に上陸したボルサリーノ
ちなみにボルサリーノは1910年代に日本にも輸出されていたそうである。当時の日本の代理店は不明だが、現在でもボルサリーノを取り扱う銀座トラヤ帽子店では、50年程前からボルサリーノとイギリスを代表するクリスティーズを取り扱っている。
日本でもボルサリーノは昔から馴染みのある、そして憧れのブランドなのである。
ボルサリーノ帽子9.10
左:センター・クリースとフロント・ピンチがあしらわれた、
  ソフトハットの代名詞といわれる代表的なモデル。
右:1947年、当時人気のあったソフトハット。
  今日のボルサリーノスタイルの原型となるスタイルに仕上げられている。

 

■ ソフトフェルトに特化したボルサリーノ
● 軽く柔らかいボルサリーノ
ここで現在のボルサリーノとイギリスのソフト帽(中折れ帽)の特徴の違いについて簡単に触れておこう。代表的なファー・フェルト(兎の毛)を使ったソフト帽で比較すると、ボルサリーノはクラウンとツバがとても柔らかく、帽子自体が軽いのが特長だ。

11

今日のボルサリーノを代表するモデル  ” QUALITA SUPERIORE(クオリティ・スペリオーレ) ”  伝統製法に基づき、上質な兎のしなやかな毛のみを使用したシリーズ。

● 日本人の頭にもフィットする柔らかさ
一方のイギリスの帽子は糊を残しているせいか、兎のファー・フェルトにもかかわらず全体的に硬く重量もある。実際に手にしてみると柔らかさと重さの違いを実感できるだろう。ボルサリーノのソフト帽は柔らかいため頭に馴染むのも早いというわけだ。ボルサリーノの帽子は西洋人の楕円の頭の形に合わせて作られているのだが、上質で柔らかな素材のため日本人の正円の頭の形にもフィットしてしまうのである。

例えるなら、ボルサリーノがイタリアの柔らかな高級生地を使った軽いジャケットであるのに対し、イギリスのそれは昔ながら重厚な軍服といったところだ。スーツやジャケットの両国の違いが、そのまま帽子にも表れているようで面白い。

● 孫のテレジオが経営を立て直す
さて、横道に逸れてしまったが話を歴史に戻そう。1929年には生産数が200万個を超えて、そのうちの150万個が海外へ輸出されている。この時期に既に海外での評価が高かったことを表している。当時の大恐慌やその後の第二次世界大戦により工場の閉鎖を余儀なくされるなど生産数は減少していく・・・。しかしそんな厳しい時代もジュゼッペの孫であるテレジオ・ウズエリに経営が受け継がれ、なんとか乗り越えていくのだ。1957年には創業100周年を無事に迎えている。

■ 映画「ボルサリーノ」で世界的なブランドに
さらに世界的に知名度を上げたのが1970年に日本公開された映画「ボルサリーノ」だろう。1930年代のマルセイユが舞台になったこの作品の中で、登場人物が成り上がっていく際の重要な小道具に使われていたのがボルサリーノの帽子だ。ブランド名がそのまま映画のタイトルになっている点もユニークである。

ボルサリーノ12
© 1970 MARIANNE PRODUCTIONS – ADEL PRODUCTIONS – MARS PRODUZIONE
映画  “ Borsalino  ”(1970年日本公開)
1920年代を時代背景に製作されたこの映画では、ボルサリーノが商品協力したと言われています。
1920年代のフランスでは、ボルサリーノがはやくもステイタスシンボルになっていたことがうかがえます。

● 二大スターの競演で人気に火がつく
当時人気絶頂期にあったアラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドが競演したこともあり、世界的に大ヒットした映画である。続編の「ボルサリーノ2」ではアラン・ドロンがボルサリーノを端正にかぶり復讐劇を演じている。ラストシーンのボルサリーノの上品さ、美しさが際立った作品でおすすめ。まだ観てない方はDVDで鑑賞してほしい。

● 貴重な資料を展示する帽子博物館
1986年にはアレッサンドリアの郊外にボルサリーノの本社と工場を移転する。旧本社工場の建物は、現在アレッサンドリア大学の学舎として使用されている他、帽子博物館としてボルサリーノの歴史的な資料が展示されているのだ。また、旧工場で使われていた機械や職人の道具は新しい工場でそのまま使用され、ボルサリーノの伝統と品質は今日まで受け継がれているのである。

ボルサリーノ13
旧本社工場の現在。

ボルサリーノ

1857 年から 150 年間、今日でも創業時と同様の製法がかたくなに守られている
世界最高峰イタリア帽子ブランド、ボルサリーノ。
「効率の為に、いかなる品質を犠牲にすることもできない。
その為に、あえて伝統的な機械、道具を使い続ける」こうしたこだわりが
永遠のボルサリーノの精神であり ” ボルサリーノ クラフトマンシップ “。

http://www.borsalino-japan.com

直営店舗
日本橋髙島屋店、銀座三越店、大丸東京店、大丸心斎橋店、大丸福岡天神店

ダンディズムとは

古き良き伝統を守りながら変革を求めるのは、簡単なことではありません。しかし私たちには、ひとつひとつ積み重ねてきた経験があります。
試行錯誤の末に、本物と出会い、見極め、味わい尽くす。そうした経験を重ねることで私たちは成長し、本物の品格とその価値を知ります。そして、伝統の中にこそ変革の種が隠されていることを、私達の経験が教えてくれます。
だから過去の歴史や伝統に思いを馳せ、その意味を理解した上で、新たな試みにチャレンジ。決して止まることのない探究心と向上心を持って、さらに上のステージを目指します。その姿勢こそが、ダンディズムではないでしょうか。

もちろん紳士なら、誰しも自分なりのダンディズムを心に秘めているでしょう。それを「粋の精神」と呼ぶかもしれません。あるいは、「武士道」と考える人もいます。さらに、「優しさ」、「傾奇者の心意気」など、その表現は十人十色です。

現代のダンディを完全解説 | 服装から振る舞いまで

1950年に創刊した、日本で最も歴史のある男性ファッション・ライフスタイル誌『男子専科』の使命として、多様に姿を変えるその精神を、私たちはこれからも追求し続け、世代を越えて受け継いでいく日本のダンディズム精神を、読者の皆さんと創り上げていきます。

おすすめのたしなみ