Taste of the gentleman

紳士のたしなみ

紳士のたしなみでは、紳士道を追求するにあたり、
是非学びたい気になるテーマについて学んでいきます。

お笑い紳士録 「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」

負けん気が強くてやんちゃな小学生だった。友達?多かったよ

【漫談家・松鶴家千とせの生い立ちを探る】
ツービートの名付け親である男。「日清焼きそばU.F.O」のテレビCMで500万円のギャラを得た男。ピースサイン付きの「イエーイ」を日本で初めて流行らせた男。シングルレコード『わかんねェだろうナ(夕やけこやけ)』を160万枚売り上げた男。

漫談家・松鶴家千とせは1970年代に「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」の流行語で一躍時の人となった。

本名は小谷津英雄。彼はどんな生い立ちを経て、お笑い界で名声をつかんだのだろうか。トレードマークはあごひげとアフロヘア

【満州からは中国人たちが逃がしてくれた】

彼は1938年(昭和13)、満州で生まれた。日中戦争が勃発した翌年だが、そこでの暮らしは意外にも牧歌的なものだったという。

「父が設計技師だったから、満州鉄道拡張のために家族でチチハルという街に移住したんだよ。日本の兵隊と野球で遊んだ記憶がある。僕ら6人兄弟の面倒は満鉄社員の中国人たちが見てくれた」

そんな時、「日本は中国に負ける」という話を中国人たちから聞く。父親だけは「そんなはずはない」と言い張って残ったが、母親を含む兄弟は帰国した。

「戦況がやばくなっているらしくて、『見つかると捕まるぞ』と言って中国人たちが夜中に逃がしてくれた。女の子はイタズラされるからって、姉と妹は丸坊主にして男の子の服を着せられて。何も持たずにひたすら歩いて、中国人街から離れた場所で荷物を渡してくれた」

戦争中の国民同士に、このような心の交流があったとは驚きだ。

「50人ぐらいの共同生活だから、自然に打ち解けたんでしょ。そこから先はあんまり覚えてないけど、たぶん大連から船で帰ったんじゃないかなあ」


【しょうがないから家族で納屋に寝泊まりしたよ(笑)】

父親は福島県の南相馬にあらかじめ土地と家を買っておいた。しかし、そこに着くと「ずっと俺たちが管理してたんだから」と父の兄一家に母屋を占拠される。

「しょうがないから家族で納屋に寝泊まりしたよ(笑)。竹なんかを入れておく7畳ぐらいの掘っ建て小屋。最初は7人が川の字で寝てたけど、やがて、上の3人は学校の先生をやったり、病院の婦長をやったり、大学に行ったり。母と下の4人の子供が田んぼと畑を耕してた」

田んぼも畑も3反の広さ。コメの他に、サツマイモなどを作っていたという。肥やしが手に入らないため、木の葉を腐らせて代用していたという。


【小学生の頃は川で泳いだり、畑から盗んだスイカ食べてた】

周囲には豊かな自然が広がっていた。夏は何といっても川遊びだ。

「小学生の頃は川で泳いだり、近所の畑から盗んだスイカやキュウリを水で冷やして食べてたね(笑)。友達? 多かったよ。負けん気が強くてやんちゃだったから、ガキ大将に殴られたお返しに勉強机の天板でガツーンとやったこともあったなあ。みんながびっくりしている顔はいまだに覚えてる。背が小さかったからモテなかったけど」

そんな環境で伸び伸びと育った千とせだが、この頃に音楽と出会う。もちろん、のちに自分が音楽で笑いを呼ぶ人気芸人になるとは思っていない。

 

<師匠にひと言!>
歌・漫談
松鶴家都乃局さん

初めてお会いしたのは8、9年前でしょうか。師匠がやっていたチバテレビの『出番ですよ!街角のど自慢』という番組に呼んでくれたんです。それをきっかけに弟子になり、以来、浅草・木馬亭での定例イベントには毎回のように出させていただいています。私は父がいないこともあり、本当に父親そのものの存在(笑)。体を壊して入院された時も心配で心配で何度もお見舞いに行きました。2人で会う時は昔の芸能界の話なども教えてくれて勉強になりますね。

舞台で千とせ師匠とデュエットする都乃局さん(左)

 

 

松鶴屋千とせ
日本の漫談家、歌手、司会者。小谷津家は下り藤の家紋である。
元東京演芸協会常任理事、南相馬市ふるさと親善大使、東京都足立区在住。アフロヘアーと、「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」のフレーズ、「イェーイ!」で決めるピースサインのポーズがトレードマーク。

問い合わせ先:石田企画

ダンディズムとは

古き良き伝統を守りながら変革を求めるのは、簡単なことではありません。しかし私たちには、ひとつひとつ積み重ねてきた経験があります。
試行錯誤の末に、本物と出会い、見極め、味わい尽くす。そうした経験を重ねることで私たちは成長し、本物の品格とその価値を知ります。そして、伝統の中にこそ変革の種が隠されていることを、私達の経験が教えてくれます。
だから過去の歴史や伝統に思いを馳せ、その意味を理解した上で、新たな試みにチャレンジ。決して止まることのない探究心と向上心を持って、さらに上のステージを目指します。その姿勢こそが、ダンディズムではないでしょうか。

もちろん紳士なら、誰しも自分なりのダンディズムを心に秘めているでしょう。それを「粋の精神」と呼ぶかもしれません。あるいは、「武士道」と考える人もいます。さらに、「優しさ」、「傾奇者の心意気」など、その表現は十人十色です。

現代のダンディを完全解説 | 服装から振る舞いまで

1950年に創刊した、日本で最も歴史のある男性ファッション・ライフスタイル誌『男子専科』の使命として、多様に姿を変えるその精神を、私たちはこれからも追求し続け、世代を越えて受け継いでいく日本のダンディズム精神を、読者の皆さんと創り上げていきます。

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