Taste of the gentleman

紳士のたしなみ

紳士のたしなみでは、紳士道を追求するにあたり、
是非学びたい気になるテーマについて学んでいきます。

お笑い紳士録 「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」

上野駅でホームレスから渡された切り抜きはキャバレーの求人だった

【当時、上野駅前の広場にはホームレスがたくさんいた】

帰郷した兄が鳥かごを蹴っ飛ばし、大切に飼っていた小鳥たちは逃げていった。この“事件”をきっかけに、15歳の千とせは家出を決断する。裏に住んでいるおじいさんが工面してくれたお金を手に夜汽車に飛び乗った。

目的地はジャズの聖地、アメリカ。しかし、着いたのは東京・上野だった。

「とりあえず改札口を出た。当時、上野駅前の広場には新聞紙を敷いて寝ている元兵隊のホームレスがたくさんいたんだよ。どうしていいかわからずに大きなトランクを持ってボーッとしていると、その中の一人にパッと指をさされて『お前、家出坊主だろう』って言われてね。今思えば、これが運命の出会いだった」

千とせは「違います、僕はアメリカにジャズを習いに行くんです」と答える。ホームレスは「バカヤロウ! 俺はアメリカに負けてこんなんになってんだぞ。ふざけんじゃねえ」と怒鳴る。

しかし、ひと通り怒りを発散して満足したらしく、そのホームレスは動揺して固まっている千とせにズボンのポケットから新聞の切り抜きを引っ張り出した。そして、こう言った。「本気で習いたいんなら、まずここに行け」。

「切り抜きは新橋の『ショーボート』っていう大きなキャバレーの求人だった。そこには音楽教室もあって、上達したらステージにも出させてもらえるっていうんだよ」

【ウチの2階が空いてるから、部屋が見つかるまで住んでいいよ】

ホームレスに教えられたまま山手線に乗り、新橋に着いた。新橋の街は路上の物売りも大勢いて賑わっていた。そして、汐留川と呼ばれていた川のほとり、土橋交差点付近にマンモスキャバレー「ショーボート」はあった。勇気を出して音楽教室のドアを叩く。

「でもね、『歌は教えられるけど泊まるところはどうするんだ』って聞かれて。困っていると『ここでは寝泊まりできないからね』と釘を刺された。すると、そこに救世主が現れるんだ」

たまたまレッスンに来ていた女性が「ウチの2階が空いてるから、部屋が見つかるまで住んでいいよ」と言ってくれたのだ。千とせは「よろしくお願いします」と即答する。レッスン後、女性に付いて新橋から都電に乗る。降りたのは御徒町だった。しばらく歩いて女性が住んでいる都営小島町住宅に到着。

「トントントンとこうなった。縁があったんだねえ。その姉さんがいなかったら、うなだれて福島に帰っていただろうから。しかも、後になってわかるんだけど、彼女は安藤絹枝さんという人で、のちに僕の師匠となる松鶴家千代若・千代菊の次女。だから、上京していきなり松鶴家の家に入っちゃった。ウソのようなホントの話(笑)」

【初めてお笑いの世界に触れた瞬間】

そんなことは知るよしもない千とせだったが、まずはこの家から新橋の音楽教室に通う日々が始まった。さらに、少しでも恩義に報いようと、早起きして掃除をしたり、飼い犬を散歩に連れて行ったり、弟子たちのご飯を作ったりと甲斐甲斐しく働いた。

「1週間ぐらい過ぎた頃かな。レッスンから帰ると僕が寝泊まりしている2階の部屋から騒がしい音が聞こえてきた。上がってみると10人ぐらいの弟子が三味線や太鼓に合わせて歌ったり踊ったりしてるんだよ。2人一組で怒鳴り合っている人たちもいたな」

出くわしたのは、近所に住んでいた千代若師匠が弟子たちの下宿に出向いて漫才の稽古を付けている場面だった。「漫才」という言葉も知らなかった千とせが、初めてお笑いの世界に触れた瞬間である。

師匠が声をかけてきた。「お前かい、福島から家出してきた坊やは」「いえ、歌を勉強するために来たんです」「そうか。どっちにしても芸の世界は厳しいぞ」。

この数日後、千代若・千代菊師匠に誘われて上野広小路の鈴本演芸場に行く。そこで高座に立つ二人を見て、本物の芸を知ることになる。

【師匠にひと言!】

大道芸人、マジシャン
松鶴家ぽんさん

30歳ぐらいまでは道化師やマジックの勉強をしていたんですが、同時に喋りも勉強しないとなと思っていたところに見つけたのが師匠の漫談教室のチラシ。そこに飛び込んだのが縁で「一緒にラジオに出なさい」と。「かつしかFM」のレギュラー番組に呼んでいただいて、何となく弟子入りする流れになりました。師匠との思い出ですか? 福島のイベントに行った際にホテルの同じ部屋に泊まったんですが、師匠がサッカーのW杯中継に夢中でお風呂に入らないし寝る気配もない。どっちも「お先に」というわけにはいかないので、待っているうちに朝になりました。あれはいろんな意味で思い出深いですね(笑)。


松鶴家天太とのコンビでも活躍中

2013年には芸能生活60周年を祝うパーティーが開催された

松鶴屋千とせ
日本の漫談家、歌手、司会者。小谷津家は下り藤の家紋である。
元東京演芸協会常任理事、南相馬市ふるさと親善大使、東京都足立区在住。アフロヘアーと、「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」のフレーズ、「イェーイ!」で決めるピースサインのポーズがトレードマーク。

問い合わせ先:石田企画

ダンディズムとは

古き良き伝統を守りながら変革を求めるのは、簡単なことではありません。しかし私たちには、ひとつひとつ積み重ねてきた経験があります。
試行錯誤の末に、本物と出会い、見極め、味わい尽くす。そうした経験を重ねることで私たちは成長し、本物の品格とその価値を知ります。そして、伝統の中にこそ変革の種が隠されていることを、私達の経験が教えてくれます。
だから過去の歴史や伝統に思いを馳せ、その意味を理解した上で、新たな試みにチャレンジ。決して止まることのない探究心と向上心を持って、さらに上のステージを目指します。その姿勢こそが、ダンディズムではないでしょうか。

もちろん紳士なら、誰しも自分なりのダンディズムを心に秘めているでしょう。それを「粋の精神」と呼ぶかもしれません。あるいは、「武士道」と考える人もいます。さらに、「優しさ」、「傾奇者の心意気」など、その表現は十人十色です。

現代のダンディを完全解説 | 服装から振る舞いまで

1950年に創刊した、日本で最も歴史のある男性ファッション・ライフスタイル誌『男子専科』の使命として、多様に姿を変えるその精神を、私たちはこれからも追求し続け、世代を越えて受け継いでいく日本のダンディズム精神を、読者の皆さんと創り上げていきます。

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